10年前、カスリーン台風の被害から50年たったのを期に、1997年9月に1都5県の首長が集まり「利根川サミット」が開催されました。今回それから10年経過し改めて開催されました。
今回1都5県からの参加のうち、埼玉県・群馬県・栃木県からは直接知事が会場に出席しました。この利根川サミットの様子は12月に各都県のテレビ・新聞で改めて報道されることになっております。
さて、子どものころに「キャサリン台風」の名前で勉強をした記憶がありますが、当時の映像などを含めて改めて会場でおさらいをしましたが、カスリーン台風による被害は次のようになります。
戦後間もない1947年9月に発生したこの台風は、規模としてはそれほど大きくないもので、太平洋を北上し9月15日に紀伊半島沖から進路を北東に転じ、16日に房総沖を通過しそのまま三陸沖からさらに北東に消え去っていったとのことです。日本に近づいた時点で勢力も弱まり、また上陸もしなかったことから風による被害はほとんど無かったようです。
ところが、たまたまそのときに日本上空に停滞していた秋雨前線をひどく刺激をして、房総沖を通過するころの16日の深夜0時過ぎに利根川の堤防が決壊し、その濁流が江戸時代以前の利根川、現在の古利根川の流域を水浸しにして行きました。
その数時間前には熊谷で荒川も決壊しており、こちらも江戸時代以前の荒川、現在の元荒川の流域に沿って洪水が広がり、それら2つの洪水は現在でも越谷と吉川の境で合流する中川と、さらに江戸川との間を南下して葛飾区の水元公園付近に至り、そこにある櫻堤の堤防で一時食い止められます。これが18日の夕方までのことです。
溜まり続ける水を江戸川に流そうと江戸川の堤防を爆破しようとしましたが、その間にも水かさが増して19日未明には堤防が決壊、下町一帯が水浸しになる被害が発生しました。翌日の20日に至っても各所で堤防が決壊し、さらに被害地域が拡大したそうです。
ちなみに越谷市に関していうと、古利根川の西側一帯と元荒川の北側一帯、現在の大袋・桜井・大沢・新方・増林地区一帯が水没したようです。
この洪水による被害は、死者1000人以上、行方不明も800人程度あり、浸水家屋は38万棟以上、そのうち約1万棟は全壊または半壊という状態であったそうです。終戦からまだ2年という時期で物資が不足する中、復興は困難を極めたようです。
さいわいこれ以降、上流へのダム建設や堤防の強化を進めた結果として大規模な水害は発生していないですが、近年では例えば局地的な集中豪雨が以前では考えられないような短時間で発生するなど、警戒が怠れない状態となっております。
越谷市では来年春には治水機能を持ったレイクタウンがまち開きをしますが、治水のためにはさらに整備を進める必要があるかもしれません。